「病が表にあればすべて表証」とは限らない(改訳版) 瞿岳雲著

東洋学術出版社発行『中医臨床』1992年6月◎通巻49号に翻訳掲載

漢方薬専門の論文集中医学主要翻訳集



 八綱弁証における表と裏は、疾病の病位を区別する二つの綱領である。
 人体の肌膚・体表に発生した病症は、すべて表証であるのか否か?
 裏邪出表は、裏証が転化して表証となったものなのか?

 これらはとてもやさしい問題のようにみえて、その実、概念上の錯覚を生じやすいものである。


1.病が表にあればすべて表証とは限らない

 「表」とは、生体における部位上の「裏」に相対していわれるもので、一般的には皮毛・腠理・肌肉などの組織構造を指している。
 このため、多くの人はごく当然なこととして、「表証とは、病位が浅く肌膚に存在する一連の症候」、「病が皮毛・肌腠にあって病位が浅い場合は、表証に属する」(全国高等医薬院校中医専業試用教材『中医学基礎』)と考えられているが、これらは明らかに解剖学上の部位としての「表」を、病理概念上の「表証」と混同したものである。

 表証というのは、外感の邪が人体の肌表を侵犯し、悪寒・発熱(または悪寒のみでまだ発熱していない)・脈が浮などを主症とする一連の病理的症候を概括したものである。

 それゆえ、病症が肌膚・体表に現れる瘡・癤・瘙痒・斑疹・水疱・皮下水腫などは、必ずしもすべてが表証とは限らない。

 ところがもしも上述のように、解剖学上の「体表」と病理概念上の「表証」を安易に同等なものとしてしまうと、あらゆる皮膚上の瘡・癤・痒などの病態はすべて表証とされ、肌膚・腠理などに明白な病理変化を示さない病変は、すべて裏証ということになる。

 かくして、表証と裏証は病状にもとづいて弁証する必要がなくなり、単なる解剖学上の部位分け概念に堕してしまう。

 これでは明らかに弁証論治の原則と考え方にもとり、臨床的にも通用せず、理に適うものではない。

 実際には、「病位が表である」とされる表証は、単に理論上の抽象概念に過ぎず、その本質は生体が病邪に侵襲されて生じた、ある種の全身性の反応のことなのである。

 病理概念上の表証は、空間概念として、病因は「外邪」の感受、病位は「浅」で「肌膚・体表」。時間概念として、疾病の過程は「初期」「開始」段階。病の程度としては、病勢が比較的「軽度」、などが含まれている。
 そして同時に、表証に属するか否かの判断は、悪寒・発熱・脈浮などの病理現象を根拠とする。

 それゆえ、体表に現れる暗くくすんだ顔色・皮膚の黄疸・瘡・癤・瘙痒・肌膚甲錯(サメ肌)などの病症において、悪寒・発熱・脈浮などを伴わないときには、病位を肌膚・体表として局部症状にもとづいて論治することがあっても、表証と称することはできないのである。


2.裏邪出表は裏証が転変して表証となったのではない

 八綱弁証中の相互に対立する証候は、一定の条件のもとではその位置が容易に入れ替わるが、これを「証候転化」という。

 証候転化とは、特定の証候が他の証候に転化することで、病変の性質が変化し、現象と本質がすべて変換してしまうことである。

 このため、論治を行うときには、すでに変化した証候にもとづき、新たな治法を確定しなければならない。

 なかでも、表証・裏証における証候転化が、もっともよくみられる。
 疾病としての表証がまず現れ、その後に裏証が現れ、裏証の出現にともなって表証が消失するとき、表証が裏証に転化したという。

 たとえば、外感病の初期で悪寒・発熱・頭痛・身体の疼痛・舌苔が薄白・脈は浮などの表証が現れたとき、治療が適切でなかったり治療が遅れたりすると、表解しないまま正気が邪気に勝てず、病邪は皮毛・経絡を経由して臓腑に内伝し、引き続いて高熱・口渇・便秘・黄色の小便・舌質は紅・舌苔は黄・脈象が洪大などを生じ、表証から裏(熱)証に転化する。
 
 この時の治法は解表法ではなく清熱泄裏法であり、臨床上よくみられるものである。

 一方、「裏証が表証に転化する」といった現象は、臨床の実際においては絶対にあり得ず、「裏邪出表」があり得るのみである。

 裏証が表証に転化することを理論的に考えると、まず裏証があって後に表証が現れ、そして表証の出現にともなって裏証が消失した証候を指す。
 しかしながら、臨床的に裏証として内熱・煩躁・咳逆・胸悶などがあり、その後に汗が出て解熱し、煩躁が軽減したり、あるいは紅斑・小水疱が発生するなどは、病邪が裏から表に達した現象なのである。


 たとえば、麻疹(はしか)に罹患した小児で、体質虚弱や風寒外襲、あるいは涼薬の使用が早すぎ、衛気が鬱遏されたために、発疹が直ちに消え、高熱・咳喘・煩躁など疹毒内陥して外達できないことによる症状が現れることがる。

 この時、清熱透疹・托邪外出法を用いて治療を徹底し疹毒を外達っせると、斑疹が再び出て熱が下がり、呼吸が平静となる。

 これは裏証の病邪が裏から表に出たことを示し、疾病が進展変化する趨勢であり、決して裏証が表証に転化したものではない。

 この時の現象は、新たに外邪に感じて生じた疾病の初期段階ではなく、また悪寒・発熱・身体の疼痛・脈が浮など、表証としての特定の症候もない。

 治療法についても「その表にあるは、汗して之を発す」べきではなく、裏熱を清瀉して透疹すべきものであるから、表証ではなく裏証出表〔裏証が体表に出現したもの〕なのである。

 このように、裏証出表の「表」とは、解剖学上の生体における駆邪外出の経路の一つである「肌膚・体表」を指しており、病理概念上の「表証」を略称したものではない。
 ちょうと、張景岳が「病が表から入った場合は表証といえるが、内から外に及んだ場合は表証とはいえない」と述べた通りである。


参考文献
   朱分鋒: 『湖南中医学院学報』1981年第1号24頁


   
     出典: 『中医理論弁』(湖南科学技術出版社)