コタローさんより、
温胆湯エキス細粒 90包
三物黄芩湯 90包
帰脾湯 90包
補気建中湯 90包
分消湯 90包
茯桂味甘湯 90包
竹葉石膏湯 90包
[参考関連ブログ:ウチダの生薬製剤二号方と丹心方]
1995年 『ウチダの生薬製剤二号方』とまったく同じ成分の『丹心方』(いずれもウチダ和漢薬製造・販売)
【効能・効果】
中年以降または高血圧の傾向のあるものの次の諸症:頭痛、頭重、肩こり、めまい、動悸。
【成 分】
センキュウ・シャクヤク・コウカ・モッコウ・コウブシ・丹参
*原料生薬の指示その他、基本的な部分の全てを指導しました。
理想的な行気活血の方剤が生まれたと自負していますが、日本全国の漢方専門薬局などで販売されています。その具体的な使用方法などを、ウチダ和漢薬さんに依頼され、村田恭介自身が『和漢薬』誌の513号(1996年2月号)で「丹参製剤 生薬製剤二号方」と題して、かなり長文の論文を発表しています。中医学的な効能は、瘀血阻滞に対する「活血袪瘀・行気止痛」というよりも、2004年12月28日夜の考察では「行気活血・袪瘀止痛」の方剤と表現したほうがより適切だと考えています。
ウチダ和漢薬を去ってしまった元営業部長のS氏に強く発破をかけて実現したもので、彼とはシバシバ意見の食い違いから仲たがいばかりしていましたが、これを書きながら、懐かしくって仕様がない。アぁ〜っ歳を取ったものだとため息が出てしまいます。少し目に涙が浮かびそう。それだけあの当時がなつかしい。昨今は、彼のように私と丁々発止のバトル(意見交換)が出来るような人物が、もう回りには誰もいない。
ともあれ、私が生まれた同じ年の昭和二十五年に創刊されたこの『和漢薬』誌は、それ以来毎月コンスタントに発行され、2004年11月現在618号が発行されていますが、村田恭介自身はその299号から551号までの間に、論文・随筆・翻訳とその解説および書評など、合計で百数十回にわたって執筆して来ました。
なかでも八十六回続いた訳注『中医病機治法学』(陳潮祖著)は、あと十数回で完結という惜しいところで中断してしまいましたが、その中の「訳者のコメント」部分には相当に力を入れたものでした。
そもそもあの連載がはじまった経緯というのは、某社との契約で村田恭介個人訳としての出版計画が着々と進行していたところ、訳者多人数で行われていた他社に先を越されて出版されてしまい、計画を中断せざるを得なくなり、愚痴っていた村田に同情した『和漢薬』誌の編集長が、それに訳者のコメントを付して連載してみてはどうか、との申し入れがあり、渡りに船とばかりに乗らせてもらったという訳でした。
ところで、連載の途中に名古屋の某大学医学部の医師M先生から、出版社を紹介するから訳注を早くまとめて出版しないか、との大変ありがたいお誘いを受けたことがありました。また同じ頃から編集長からも、詳細な訳者のコメントを付した書籍を出版したらどうか、と何度も促されたものでしたが、他社に同じ内容の本があり、しかも原著の訳文だけでもかなりな分量の上に「訳者のコメント」を加えると相当な大冊の書籍となり、販売価格も高額となり、売れ残って出版社に迷惑をかけるのが目に見えているから、イヤだイヤだとダダを捏ね続けていつの間にか、あと一年と少々で完結という時点に来ていたのですが・・・。
と、その頃、たまたまウチダ和漢薬の社長とチョットした意見の食い違いから、長州人特有の短気が勃発しているところへ、江戸(東京)から「旗本」出身の編集長がみえられ、「そろそろ私も歳だから、いつ編集長を辞めないとも限らないから、連載を打ち切って例の出版に踏み切らないか」との申し入れ! 長州藩士出身の村田は内心カッ!ときて、このタイミングにわざわざやって来られての申し入れは、きっと私と社長とのトラブルにリンクしてのことに違いない、さては京都見廻組(旗本出身)が長州にまで乗り込んで藩士狩りにやって来たかとの思い込み。それゆえ、連載中止に応諾したのはもちろん、出版の件も固くお断りしてご辞退申し上げた、という次第。
このこと以来、従来ならいつも応諾していた随筆の執筆依頼や論文の要請にも、全てお断りし続け、数年前に編集長が交代されてからは、『和漢薬』誌とは全く没交渉となって現在に至っています。
我ながら、長州人の馬鹿頑固という以外に表現のしようがありません。
1983年前後 松浦薬業の『零芝+丹参』およびウチダ和漢薬の『霊丹参』は1985年頃にと、これら類似の二種類を立て続けに開発し、日本全国でかなりな評判を呼びましたが、数年後に主成分の「丹参」が完全な医薬品(漢方生薬として)に出世したために、健康食品としては製造・販売することが出来なくなり、医薬品としての許可をとらなくては薬事法違反となるため、残念ながら二社製品とも製造を中止せざるを得ませんでした。
いまだに「まぼろしの霊丹参」として語り種になっていますが、大変な自信作であっただけに、私自身もいまだに残念でなりません。二社とも医薬品としての製造許可を取得したいと奔走したのですが、「霊芝」の植物学的な起源等、その他様々な理由で医薬品としての許可を得るのは殆ど不可能とのことで、二社とも断念した訳です。
但し、このときの教訓を活かして、のちに、上記したような「丹参」を主成分とした立派な医薬品『生薬製剤二号方』が誕生したのです!
また、健康食品としても、次のような大変ユニークな製品も誕生することになりました。
1980年代後半 『雲南貴精』(ウチダ和漢商事製造・販売)
【主な原材料】
霊芝・田七人参・枳殻
*現在も全国各地の主に漢方薬を専門に扱うような特定の薬局・薬店などで販売されています。
1995年前後 『雲南片玉金』(ウチダ和漢商事製造・販売)
【主な原材料】
鬱金・田七人参
*現在も上記の雲南貴精同様、全国各地の特定の漢方専門薬局などで売られていますが、主原材料の「鬱金」は、どこにでも売られている「ウコン」とは原材料の採集部分が全く異なります。
通常の「ウコン」は、原植物の『根茎』部分が主体ですが、ウチダ和漢薬の製品では、『根塊』部分のみの製品です。根茎はかなりな量が採れますが、根塊部分は根の先に付く小さい塊で、大量には採れません。しかも性質が微妙に異なっており、そのために中国では「玉金」ともいいます。 さらに重要なことは、日本で「ウコン」と呼ばれるものは、中国では「姜黄」といわれ、決して「鬱金」とは呼ばれません。鬱金とは、あくまで前述の根塊の部分である玉金のことなのです。
もっと詳細な原色物に関する興味深い話題もあるのですが、今述べた内容でさえ、何度説明しても医師・薬剤師などの専門家でさえも混乱して理解してもらえないことがありますので、ここではこれ以上の詳細は述べないことにします。
理解のヒントは、根茎と根塊の違いです。