これからの「中医漢方薬学」 (修訂版)

東洋学術出版社発行「中医臨床」誌1995年6月(通巻61号)発表論文

                 山口県下関市 村田漢方堂薬局  村田恭介著

村田漢方サイトマップ


●はじめに

 山梨大学教育学部助教授、池田清彦氏の著書『構造主義科学論の冒険』(毎日新聞社発行)を読むと、陰陽五行学説にもとづく中医学理論そのものが、まぎれもなく、スケールの大きい1つの科学理論であることを確認することができる。

 池田氏は生物学者であり、中医学や漢方とは無縁の方である。したがって、論説中には中医学のことも漢方医学のことも、直接的にはまったく触れられてはいないが、

★「科学は現象間の関係記述です。」
★「科学というのは構造を記述することです。科学理論というのは構造のことです。」
★「構造とはコトバとコトバの関係形式です。」
★「最終的に正しい究極の理論というのはありません。より多くの現象を説明できる理論が、より有効な理論であるといえるだけです。背反する2つの理論が同じくらい有効な時、必ずどちらかの理論が間違っているなどということは決してありません。」
★「すべての科学理論は、構造によって現象をコードするという構図になっています。すなわちなんらかの不変の同一性によって、変なるものをコードするという構図になっています。」

 などの論述は、中医学や漢方医学の関係者にとっても、重要な示唆を与えるものと思われるのである。
 
 昭和の終わりごろから筆者は、日本漢方の将来のあるべき姿として、弁証論治の中医学に随証治療の漢方医学を吸収合併させた「中医漢方薬学」を提唱してきたが、上記の池田氏の論文にも触発され、「構造主義的中医漢方薬学の冒険」を継続している次第である。

 けだし、陰陽五行学説にもとづく中医学理論そのものがすでに構造主義的であることは、上記の池田氏の論述が示唆するとおりである。


中国の新刊書『日本漢方医学』

 おとなり中医学の本場中国では、中医学関係の新刊書籍類が、ひところほどではないにせよ、毎月かなりな点数で発行され続けている。昨年、中国中医出版社から発行された『日本漢方医学』という700頁に近い大部の書物を入手したが、日本漢方に関する書籍は、ここ数年だけでも4〜5点を下らない。本書においても、日本の伝統医学としての漢方医学に対する中国側の関心のほどがうかがえるものの、日本漢方の歴史と伝統や最近の研究結果を論述するばかりでなく、問題点についても見逃してはおらず、最終章「日本漢方医学発展の趨勢と現存する問題点」の文末の最後の2行において、次のように指摘している。
 「村田恭介は日本漢方の将来として『中医漢方薬学』を声高に提唱しているのであるが、現在までのところ、日本の漢方界では基礎理論の研究と運用をないがしろにしたまま、今日にまで至っている。」この部分を最後に本書の全文が終了。日本語訳は村田。)
 1994年3月に発行されたばかりの、この新刊書籍の最終末尾である最も結論的な部分で、筆者が7年らい提唱し続けている「中医漢方薬学」が引用されており、わかる人にはわかってもらえるものだと嬉しかったものの、「現在にいたっても日本の漢方界では(陰陽五行学説にもとづく)基礎理論の研究と運用がいまだにないがしろにされたまま」であると結論づけられているだけに、いささか複雑な思いでもある。つまり、村田の声高の提唱があっても今までのところ、ほとんど無効のようであるとの大きな嘆息が聞こえてくるからである。
 ところが実際のところを言えば、昨今では日本の各地で中医学熱が高まっており、7年前に筆者が初めて「中医漢方薬学」を提唱したころに比べ、まったく隔世の感がある。漢方系の多くの雑誌に掲載される記事など、とりわけメーカーサイドの機関紙などは、期待される方向に確実に進んでいるようである。K社の機関紙もI社の機関紙もM社の機関紙もしかりといえ、薬系向けのものはこの傾向がさらに顕薯であり、薬系の漢方こそは「中医漢方薬学」の実践が定着しつつあるように思われる。
 一方、医系の漢方は薬系ほどではないらしい。その証拠にいまだに中国側は、日本漢方界では基礎理論の吸収とその臨床応用がまったく不十分であると見ているように、中国側が主として情報源とされている日本の権威あるべき漢方関係の学会誌や機関誌が、そのような認識をもたれても致し方ないような記事が少なくないからである。


●中国の中医学界の動向

 ひるがえって、本場中国の現況はどのようであろうか。本場には本場なりの問題を抱えているようで、本誌『中医臨床』の1994年9月号掲載の編集部による「北京リポート」によれば、建国以来中医学をリードしてこられた第一世代の呂炳奎教授は、「最近の経済情勢の混乱と西洋医学化現象には強く憂慮している。中医の特色を保持することを基本におかねばならない。それでなければ中医は必ず消滅する。発揚はその上に築かれるものだ。」と、現在の中医学界に対する危惧の念の述懐があり、他の老中医も言い方はさまざまであるが、同様の発言であったといわれる。
 ただし、その中で印会河教授だけは異なった意見で、「発揚に力を入れなければ、いつまでも二千年前のままである。これで現代社会に適応できるだろうか?」との疑念を表明し強調されたという。同教授の発揚重視の観点は、1980年代に純粋中医派からの激しい批判を受け、その後は表立った発言はなかったものの、第二・第三世代の間では根強い人気を得ているとのことである。
 このような「継承と発揚」に内在する問題が、第一世代から第二世代へと指導権が委譲された現在、次第に顕在化しつつあるようで、『中医臨床』誌の編集部が取材した各機関の指導者たちである第二世代の発言には、多かれ少なかれ中医の現代化を強調する発言が目だち、医療従事者であるかぎり西洋医学の知識は最低限必要であり、難病患者が殺到する中医病院においては、中医だけで処理できるものではない、として西洋医学の長所を取り込まなければ、目の前の患者を救うことはできないとの見解から、瘀血があれば丹参、高血圧には羅布麻、リウマチには雷公藤、大葉性肺炎なら魚腥草など、中西医結合の薬理学的研究の成果が取り入れられているとのことである。これに対して編集部では、「それがすなわち『現代化』であるという論理の短絡を招き、さては『弁病と弁証の結合』という論理に帰結してゆく。」と、やや批判的な見解を述べられている。
 重ねて言うまでもないことだが、建国以来の純粋中医学派の第一世代が、第二・第三世代による性急な西洋医学化運動に対して強烈な危惧の念を抱かれておられるのは、中医学そのものが消滅するのではないかとの危機感からである。


●継承と発揚のために

 よりよい生を求めて、ヘーゲルはカントを、マルクスはヘーゲルを、フランスのデリダやドゥルーズ、ボードリアールなどポスト・モダニストたちはマルクス主義を批判し、ポスト・モダニストたちの思想的源泉はニーチェ思想であり、そのニーチェはカントやヘーゲルを批判し、若い頃に心酔していたショウペンハウエルさえも批判した。(ニーチェは、西欧の形而上学は神や超越的な真理に逃避する負け犬や弱者の哲学であるとして根本的な批判を加えたことは周知の通りであるが、現代思想における近代最大の思想家とされるにいたっている。ちくま文庫の竹田青嗣著『ニーチェ入門』を参照。)
 このように、その時代における社会的な現実認識の上から、前人の哲学・思想的業績に批判を加えることを通して、ヘーゲルもマルクスもニーチェも、ポスト・モダニストたちも、それ以前の思想や同時代の思想に批判を加えつつ独自の思想を構築してきたのであり、彼らそれぞれの思想は、彼らの暮らした時代の社会的現実の要請から必然的に生まれた業績であるといえるのである。
 批判が加えられたそれ以前の思想あるいは同時代の思想は、たとえその時代に最高の思想と信じられていたものであっても、やがては次の時代の社会的現実の要請にマッチした新たな思想が構築されるための踏台とされる宿命を担っていたのであり、同様に新たな時代の要請で生まれた新思想も、やがては同じ運命を辿る可能性を常に孕んでいる。
 このように、前人の業績は常に踏台として批判が加えられる宿命と必然性を担って推移してきた近代から現代にいたる西洋思想の発展過程は、中医学の今後の継承と発揚の大いなるヒントを提供するものである。
 成都中医薬大学の陳潮祖教授が御高著『中医病機治法学』の中で述べられているように、中医学は「哲学理論と医学理論が結合した科学的原理や法則」であるだけに、時代の現実的な要請に応じた難治性疾患に対するハイレベルな治療効果を求めるなら、すでに公理とされているような原理や法則についての再検討と再確認を行いつつ、時代の要請にマッチした新たな理論や法則の可能性について、純粋中医学の領域内に留まらず、現代西洋医学における病理学・薬理学など、近縁する諸科学を動員して、絶えず追求模索する必要性と必然性が生じるのである。
 ところで、『現代思想を読む辞典』(講談社現代新書)の巻頭に今村仁司氏の次のような文章がある。
 「特権的な思想の『語部(かたりべ)たち』は、一方ではいやがうえにも古典的文献を崇め奉り、他方では現代・同時代の諸思想を上から見下したり、軽侮の念をもって無視したりしてきた。例えば、学者の卵たちが現代的諸思想の研究に志す場合、彼らは先生たちから叱られたものである。教育上、古典の研究から始める方が精神の発展のためにはきわめて生産的であるという理由から教師たちが現代ものに魅かれる弟子たちをいさめるのはまことに正当ではあるが、その限度を越えて現代的な思想はいっさいまかりならぬというに到っては病的というほかはない。この種の病的反応は現在でもいたるところにみられる。現代思想へのアレルギーは、古典崇拝の看板に隠れて自分で思索することを放棄した精神の怠慢を押し隠すことにほかならない。こうした思想状況はそろそろ終りにしなくてはならない。」(傍線部は引用者)
 ここで、傍線部分をすべて「西洋医学」に置き換えてみると面白い。つまり、本場の中国でさえ、日本の漢方界と内容は微妙に異なってはいても、中医学界の新しい世代と伝統を守り続けてきた世代との相克がみられるのである。
 ここで再び面倒なことであるが、今度は引用文の傍線部分をすべて「現代中医学」に置き換えてみて欲しい。このようにすれば、少し前までの日本漢方界の状況がそのまま映し出されるわけである。ところが、現在の中国側から見れば、7年前から村田による「中医漢方薬学」の提唱もむなしく、日本の状況は基礎理論の研究と運用をないがしろにしたまま、現在にいたってもほとんど変化がないままである、と認識されていることは前述の『日本漢方医学』と題された中国書籍の結論部分を引用した通りである。
 哲学・思想界では、その時代の現実的な要請に応じて、常に前人や同時代人の業績が踏台として批判が加えられつつ、同時代にマッチした新たな思想が構築されてきており、その時代の社会的な現実認識の上で必然性があれば、ニーチェ思想のような復活をとげる現象もみられるなどの経緯を観察していると、中医学の将来としての中西医結合の必然性や、日本漢方の「中医漢方薬学」の必然性が動かしがたいものとして見えてくる。


●進歩と発展のために批判的精神は不可欠

 中医学や漢方を西洋思想の状況と同列において論じることは、いささか乱暴にすぎることは百も承知であるが、多くの共通点も見逃せないことも事実である。次代の思想や医学は、同時代の状況を全面否定するにせよ、そのまま無批判に継承するにせよ、あるいは批判的に継承するにせよ、いずれの場合でも過去の学問的成果の前提の上に構築されるものであることに違いはない。過去があっての現在であり、現在は過去の延長であるから過去を無視するわけにはゆかず、かといって過去にこだわってばかりいれば、新しい時代にマッチしない時代遅れで使いものにならない思想や医学に堕する危険性が生じるのである。
 そもそも批判が生じた原因は、批判者の立場からみて同時代の現実的な矛盾や疑問、不都合などを感じ、改良や改革あるいは解体などの必要性を認めたからであろう。無批判に継承してかえって沈滞化に陥る事態を招くより、時代とともにますます複雑多様化する難治性疾患に対処すべく批判的な継承こそが、遥かに有益なことのように思えるのである。
 今後のさらなる進歩と発展のためには、同時代の現実的な要請にもとづいた有益な批判こそ望まれるのではないだろうか。


●北京における中成薬ブーム

 さて、再び本誌『中医臨床』誌の9月号によると、外来1日に3,000人、病棟ベット500床という中国最大の中医専門病院「北京市中医医院」における全使用薬物の内容は大変興味深い。金額に換算すると、中成薬・生薬・西洋薬の使用比率が同じで、それぞれ3分の1ずつだというのである。取材記者は中成薬の比率が予想外に多いと驚いておられるが、のみならず西洋薬の使用比率の高さについても唖然とさせられる。
 ともあれ、このように本場の中医医院においても中成薬は「便利だから、患者によろこばれる」とのことで、この辺の事情は日本とたいして変わりはなく、煎薬でなければ中医学を行えないと信じている一部の日本人のほうがどうかしているのである。


●中医漢方薬学のアイデンティティ

 中医学も中医漢方薬学も、ともにアイデンティティを形成している最も根源的な部分は、いうまでもなく陰陽五行学説であり、これにもとづく中医学理論を基礎としている。

 中医学と中医漢方薬学の違いは、後者では方証相対論にもとづく随証治療の精神を弁証論治に取り入れていることである。

 つまり、伝統的な既成方剤それぞれが適応する一連の症候(証)の探求と分析を通じて、弁証論治における治法に対する方剤の選定をより能率的に導く工夫がある。


●随証治療の精神と弁証論治における「依法用方」

 弁証論治はなにも「依法立方」だけの世界というわけではなく、既成方剤に依存する「依法用方」こそが弁証論治の基礎であり出発点でもある。これによって方剤の組み立てにあれこれ思案して苦労する必要がなくなるのである。
 つまりは、日本漢方の随証治療を一歩進めて「随証立法」にもとづいて方剤を選択することが弁証論治における「依法用方」なのである。たとい、依法立方が自在に行えるような高度な知識と技術がなくとも、治法にもとづいて先人の制定した既成方剤を使用できるようになれば、すでに中工のレベルに到達したものといえるのである。要は、中医学理論をいかに臨床上で有機的に活用できるかが問題であって、依法立方だけが弁証論治というわけではないのである。
 このように見てくると、「既成方剤に依存した施治は中医学ではない」「中医学は煎薬でなければ行えない」などの珍奇な発言が、いかに根拠のないものであるかが分かる。
 さらに言えば、既成方剤に依存する「依法用方」の中には、日本漢方の随証治療と中医学の弁証論治との接点が内在しており、治法にもとづいて方剤を解釈する「依法釈方」の精神は、すでに制定された方剤を各薬物の効能と君臣佐使の配合関係によってとらえるのではなく、複合の飛躍により方剤自身の新たな効能を発揮するものととらえる点において、日本漢方の随証治療の精神と一脈相通じていることも認識しておく必要がある。
 某証(葛根湯証など)の確定根拠となる一連の症候の把握に全力を傾ける随証治療の世界では、傷寒・金匱の方剤を主体に一般的な疾病から難治性の疾患まで、少ない方剤を駆使してかなりな成果が上げられている。これらの豊富な経験を中医学の立場から詳細に分析すれば、既成方剤における新たな「病機と治法」が発掘され、依法用方や依法立方のレベルの向上に,多大な貢献ができるものと確信している。
 たとえば、筆者の葛根湯を用いた随証投与の経験を述べると、めまいやふらつきを主訴とする眩暈証患者で、多少とも寒冷や気温の落差に影響を受けやすい「項背部の凝り」をともなうものに対して、西洋医学的な病名診断とはまったく無関係に著効を得たことが多い。その他にも先人の随証投与による葛根湯の膨大な治験があるが、これらを単なる経験だけに終わらせず、葛根湯が適応した症候を整理し詳細に病機を分析・検討する必要がある。同様に、各方剤の随証投与による膨大な治験を概括して理論に高めれば、中医方剤学の発展に貢献する可能性が強いのである。


●中医漢方薬学の実践

 実際の臨床では、十分な弁証を行った後に「治法」を考案し、既成方剤を用いて「治法」にもとづく方剤の選択(依法選方=依法用方)を行うわけであるが、複雑な病態に対処するには単方投与ということは、現実的にはほとんどありえないことになる。
 成都中医学院の方剤学教授、陳潮祖先生の御高説をヒントとして、疾病治療における配合原則は、
@疾病の直接的な原因となっている「内外の病因」を除去する薬物。
A五臓六腑の機能を調整する薬物。
B体内に流通する気・血・津液・精の疎通や補充を行う薬物。
という三方面の配合が鉄則であると考えている。
 それゆえ、比較的単純な疾患では、@ABの鉄則を1〜2種類の方剤で充足させることも可能であるが、成人病や難治性疾患ともなれば、3種類以上の合方など決して稀ではない。


●アイデンティティ喪失の危機

 ともあれ先に見てきたように、現在では中国の中医学専門医院においても中成薬の使用頻度が増大している現実は、筆者が7年前から提唱してきた中医漢方薬学の理念にかなり接近してきている証拠である。両国を挙げて既成方剤それぞれが適応する証(一連の症候)の探求と分析による方剤の能率的な選定方法の研究がますます盛んになるに違いないが、これには従来の日本漢方の伝統であった方証相対論にもとづく随証治療の精神が、大いに役立つわけである。
 西洋医学や東洋医学、インド医学など、その他各種の医学体系も、人体の疾病に対する認識と治療方法において、いずれか正統あるいは正当な医学である、と結論づけられるものではなく、西洋科学思想にもとづく西洋医学といえどもその例外ではない。いずれの医学体系も、1つの「解釈と方法論」にすぎず、あらゆる医学に共通する命題は「疾病の治癒」にほかならない。理想的には、それぞれの優れた部分を有機的に結合させて、治療効果のより優れた新たな医学を創造することであるが、言うはやすくほとんど実現不可能なことである。根源的な世界観およびそれにもとづく医学理論そのものがまったく異質であるためだが、たとえば、西洋医学と中医学の2つだけにしぼって考えてみた場合でも、さしあたりは中西医結合よりも中西医合作のほうが容易にみえるのである。
 しかしながら、容易ならざる中西医結合が時代の要請であるからには、その勢いを第一世代の老中医によっても阻止することはできないだろう。中医学や中医漢方薬学のアイデンティティを見失うことのない方法が大前提でなければならないが、実はそれ以前の問題として、陰陽五行学説にもとづく中医基礎理論に十分習熟することは、それほど容易ではない。このために一部の者が中医学の理論研究と応用の困難さに負けてしまい、安易に現代化という名のもとに性急な西洋医学化に走り、すでにアイデンティティをほとんど喪失して分裂状態に陥っていることに気づかず、喜々として顧みない者もいるようである。このような逸脱現象に目を注げば、第一世代の老中医が中医学消滅の危機感を抱かれるのも無理ないように思われる。
 本場の中国でさえこのようであるから、日本の現状は推して知るべし。先に見てきたように、中国側から見た日本漢方界の現状は、「中医漢方薬学」の提唱があるにもかかわらず、現在までのところ基礎理論の研究と運用を怠っていると認識されているわけである。
 中国側の言われる基礎理論というのは、当然のことながら陰陽五行学説にもとづく「中医」基礎理論を指している。従来の日本漢方のような陰陽学説にもとづく二元論のみでは、理論と呼べるような理論はないに等しいので、中医基礎理論を早急に導入する必要があることを示唆しているのである。
 つまり、従来の日本漢方のままではアイデンティティを形成する以前の幼時期の段階であることも言外に指摘されているわけであるが、いささいか憂慮すべきは、アイデンティティが形成される以前のレベルであるにもかかわらず、一部に西洋医学化志向が強すぎて、中国におけるそれよりも重度の分裂病的状況が認められることである。


●おわりに

 過去の歴史が証明するように、いつの時代でも常に矛盾はつきものではあっても、社会的現実にもとづく時代の要請には抗いがたく、適当なバランスを取りながら、その時代に比較的マッチした思想や医学が流行するもののようである。もしも時代に逆行するような思想や医学が流行するようなことがあるとするなら、時代精神そのものが腐っていて、そのレベルでしかなかったのであるから、実際のところは「時代に逆行した」という表現をとることはできないことになる。
 時代の現実的な要請に応じた難治性疾患に対するハイレベルな治療効果を求めて、日本漢方はこれから大変貌を遂げざるをえない必然性があるように思われる。新世代と旧世代。あるいは改革派と守旧派との相克がみられるのは、いつの時代でも、どの世界でもみられてきたことであり、日本漢方が今後どのような変貌を遂げるかは、結局のところ日本の漢方界全体の「学識」のレベル次第ということであろう。
 100年後に平成を振り返ったとき、「日本漢方大躍進の時代」と讃えられるような進歩と発展がみられることを祈りつつ、拙論を終えることにする。


※筆者による過去の関連文献

1)『日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』(東亜医学協会創立500周年記念号「漢方の臨床」誌、第35巻12号、東亜医学協会発行、1988)

2)『平成元年漢方への提言(日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』(「漢方医薬新聞」
 第53号、漢方医薬新聞社発行、1989)

3)『中医学と漢方医学』(「和漢薬」誌、428号 ウチダ和漢薬発行)

4)『中医漢方薬学に目覚めるまで』(「和漢薬」誌、432号 ウチダ和漢薬発行、1989)

5)『中医学と日本漢方の接点としてのエキス剤』(「中医臨床」誌通刊42号、東洋学術
 出版社、1990)

6)『漢方医学と中医学の接点としての「証」』(「漢方の臨床」誌、第39巻11号、東亜医学
 協会発行、1992)

7)『日本漢方の隨証治療の精神と「依法用方」』(「和漢薬」誌、484号掲載の「中医病機治
 法学〔21〕中の【訳者のコメント】」 ウチダ和漢薬発行、1993)

8)『中医漢方薬学の理念』「和漢薬」誌、500号記念特集、ウチダ和漢薬発行、1995)