肝は下焦には属さず、中焦に属する (改訳版) 瞿岳雲著

東洋学術出版社発行『中医臨床』1992年3月◎通巻48号に翻訳掲載

 「肝は下焦に属す」という説は、温病学説が盛んとなった明・清の時代から始まったものである。ついで、葉天士が温病の衛気営血弁証理論を創始して後、清の呉鞠通が葉天士の理論を発展させて『温病条弁』を著し、三焦弁証綱領を創立して、温病の発生と発展変化の一般法則を明らかにした。

 そこには「温病は口鼻より入る。鼻気は肺に通じ、口気は胃に通ず。肺病逆伝すればすなわち心包たり。上焦の病治せざればすなわち中焦に伝う。胃と脾なり。中焦の病治せざればすなわち下焦に伝う。肝と腎なり。上焦に始まり下焦に終わる」(『温病条弁』中焦篇)とあり、以後この説が踏襲され、肝は下焦に属すとされて現在に至っている。

 『中医学基礎』教材においては「上・中・下の三焦は現在、人体部位の区分けに用いられる。横隔膜以上が上焦で、心と肺の内臓が含まれる。横隔膜以下から臍までが中焦で、脾と胃の内臓が含まれる。臍以下が下焦で、肝・腎・大腸・小腸・膀胱などの内臓が含まれる」とされている。

 しかしながら、臓腑を上・中・下の三焦に分属させてこれを論ずるなら、解剖部位・生理機能および病理変化と診断結果などから分析解明されることは、肝は中焦に属するもので、下焦には属さないことになる。

 その論証は以下の通りである。


1.解剖部位では肝は中焦である

 中医三焦学説は人体部位の区分けであり、『難経』三十一難には「上焦は心下、隔の下にあり、胃の上口にあり・・・・・・。中焦は胃の中脘にあり、上ならず下ならず・・・・・・。下焦は膀胱の上口に当たり」とある。

 楊玄操はこれに注釈して「隔より以上を名づけて上焦という」「臍より以上を名づけて中焦という」「臍より以下を名づけて下焦という」と述べている。

 肝は右脇に位置し、腹腔の上にあるもので、三焦学説を現代解剖学から見た場合、肝は中焦に属することは医者としての常識である。
 しかしながら、最も重要なことは中医学独自の認識中にその根拠を求め、それを証明することである。

 『内経』では肝臓の位置を専門に論じてはいないが、『素問』金匱真言論には、「腹は陰たり、陰中の陰は腎なり。腹は陰たり、陰中の陽は肝なり」とある。
 『内経』の著名な注釈家の王冰はこの解釈を「腎は陰臓たり。位は下焦に処し、陰を以て陰に居る。ゆえに陰中の陰というなり」「肝は陰臓たり。位は中焦に処し、陽を以て陰に居る。故に陰中の陽というなり」としている。
 
 このように肝の「位は中焦に処す」と明確に指摘しているばかりでなく、腎と対比して、陰陽も分属上から、腎は下焦に位置し、肝は中焦に位置する根拠を明らかにしている。
 これは事実上、「肝・腎は同じ下焦に属す」とする説を否定するものでもある。

 同時に、肝の病証を述べた個所を分析すると、『内経』自体においてかなり明確な認識を行っている。
 『霊枢』脹論篇には「五臓六腑はおのおの畔界あり。その病おのおの形状あり」とあるが、肝臓の「畔界」(境界)とこの病の「形状」はどのようであろうか?
 『霊枢』本臓篇には「肝大なればすなわち胃に逼り咽に迫る。咽を迫ればすなわち隔中苦しみかつ脇下痛む」「肝偏傾すればすなわち脇下痛むなり」とあり、肝が大きくなると胃腑を圧迫し、食道にまで及んで膈中証を形成し、同時に脇下が痛むと指摘している。

 これらによって、肝臓は脇下に位置し、胃と隣接して同じ中焦に属していることがわかる。

 『霊枢』脹論篇では「肝脹は脇下満して痛み少腹に引く」とあり、病理上からも肝臓の位置を明確に示している。
 「脇下満」は肝臓本病であり、「痛み少腹に引く」のは経絡に属したものである。
 「胆脹なるものは脇下痛脹し」とあるのと合わせて考えると、肝・胆が同じ中焦であることがさらに実証される。

 『霊枢』本臓篇ではまた、「広胸反骹(きょう)するは肝高し。合脇兎骹するは肝下し。胸脇好(よ)きは肝堅し。脇骨弱きは肝脆し。膺(むね)腹好く相得るは肝端正なり。脇骨偏挙なるは肝偏傾するなり」と指摘しているが、これは肝の位置の高低や、正常か傾いているか、および肝臓の堅脆を説明したもので、いずれも胸部・脇骨および胸脇に連接した外観を推測することができる。
 肝が脇の裏にあり上腹に位置することは一層明白である。


 肝の解剖部位についての記載は、その他の医籍にも多い。
 元の滑伯仁の『十四経発揮』では「肝の臓たるや……胃に并び脊の第九椎に著す」と指摘しており、明の李梃の『医学入門』には、「肝の系なるは、膈下より右胸脇下に着く」とあり、清の王清任の『医林改錯』では肝の部位と形態について、さらに明確な記載がある。
 「肝は四葉。胆は肝の右辺第二葉に附き、総提(膵臓)は胃の上に長く、肝はまた総提の上に長く、大面は上に向き、後は脊に連なり」とあり、これらは肝臓の解剖部位に関連した記載で、現代解剖学中の肝臓とほぼ似たものである。
 とりわけ王清任が「肝の大面は上に向き、後は脊に連なり、胃の上に位置する」と観察した点は、肝の実際の位置が上端部と横隔膜の湾曲部が吻合し、後縁が腹壁と密着しているのと大体において一致している。

 以上、中焦とは横隔膜以下、臍以上の部位を指すもので、古代医籍の解剖部位に関する記載によると、肝の位置は中焦であることが容易にわかるのである。


2.中焦は漚の如しという生理機能には肝胆・脾胃がともに参与している

 「三焦」に関する生理機能は『霊枢』営衛生会篇において「上焦は霧のごとく、中焦は漚のごとく、下焦は瀆のごとし」と要約されている。
 
 「中焦は漚のごとし」の「漚」とは、中焦の食物を腐熟消化する作用を形容したものである。
 とはいえ、この機能は脾胃が主に主(つかさど)ると同時に、肝胆も参与している。

 肝は疏泄を主り、胃は受納を主り、脾は運化を主る。
 脾胃は肝の疏泄機能がなければ、飲食物の消化吸収過程を全うさせることはできない。
 『血証論』に「木の性は疏泄を主る。食気胃に入れば全て肝木の気に頼りて、以てこれを疏泄す。しかして水穀すなわち化す」とあり、『素問』宝命全形論にも「土は木を得て達す」とある通りである。
 逆にまた、『内経』経脉別論に「食気胃に入れば、精を肝に散ず」とあるように、脾胃が生成した精微物質は肝胆に運ばれて栄養する。

 肝の実体は陰で機能は陽であり、実体の陰が充実してこそはじめて機能の陽は正常に働くことができる。
 そして機能の陽が正常であれば、はじめて肝木は脾土を生じる協調関係を維持することができる。
 このため、土は木の疏泄作用を必要とし、木は土の栄養作用に依存しており、肝胆と脾胃は生理上、相互に助け合い、相互に制約し合うことで「中焦は漚のごとし」という機能を全うしているのである。

 胆が中焦に属することは議論の余地はない。
 しかしながら、胆と肝は連なっており、胆汁は肝の余気が固まって形成するものである。
 胆汁の分泌と排泄は、肝が主る疏泄作用の重要な部分でもある。
 肝の疏泄が正常であれば、胆汁は正常な分泌と排泄を行い、脾胃の運化機能を助けることができる。

 気機の昇降については、中焦は昇降の枢であり、脾は昇清を主って胃は降濁を主り、互いに相反する作用をもつことによって成り立っている。
 そして中焦の昇清・降濁の協調バランスを維持するためには、肝の昇・動・疏泄条達を主る生理機能が極めて重要な役割をはたしている。
 肝の疏泄機能が減退したり、昇発作用が過剰になったりすると、中焦気機の疏通・暢達に影響するようになる。
 このため臨床上、肝脾不和や肝胃不和の証候〔一連の症候〕がよく見られるのである。


 血液方面については、肝脾は協調して血気を生む。
 血を生成する主体は中焦で、つまり『霊枢』決気篇に「中焦は気を受けて汁を取り、変化して赤し。これを血という」とある通りである。

 過去、中焦の生血機能は脾胃にみに帰するものとされてきたが、これは片手落ちの考えであって肝も中焦の血の生成と密接な関係がある。

 まず「糟粕を泌し、津液を蒸す」というのは、肝が疏泄して脾が運化した結果である。
 それゆえ、精を化して血を生む機能はすべてが脾胃に帰するものではなく、中焦の中にある肝も含まれねばならないのである。

 同時に、肝臓自身も血を生むもので、『素問』六節臓象論には「肝は・・・・・・以て血気を生ず」とあり、また葉天士の『本草経解』では「肝は敢なり。以て血気を生ずるの臓なり」と述べられている。

 肝が生血する根拠は以下の2点である。

1)脾が散布する精を受けて化血するもので、『内経』に「食気胃に入れば、精を肝に散ず」とあることによる。
 
2)腎が泄する精を受けて化血する。
 つまり『張氏医通』で述べられている「気耗せざれば精は腎に帰して精たり。精泄らさざれば精は肝に帰して清血を化す」ということで、脾は裹血〔かけつ=統血〕を主ると同時に生血を主り、肝は蔵血を主ると同時に化血を主り、肝脾は同じ中焦にあって、共に血液の化生〔生成〕を主る、ということである。

 要するに、穀物の消化・精微の輸布・血液の生成などは「中焦は漚のごとし」という機能の一つであり、いずれも肝(胆)と脾(胃)が共に主るもので、脾胃が中焦に属するからには、肝胆もまた例外であるはずがないのである。
 このため、中焦の機能に対する考え方を認識しなおす必要があり、中焦の生理作用をもつ肝胆を重視しなければならないのである。


3.病理変化において肝胆・脾胃は連係する

 病理上においては、肝の疏泄が失調すると、とりわけ中焦脾胃の昇清・降濁機能に影響しやすい。
 脾の昇清失調によって、上焦では眩暈が起こり、下焦では下痢となる。
 また胃の降濁障害によって、上焦では愛気・嘔逆となり、中焦では胃脘部・腹部の脹満疼痛となり、下焦では大便秘結となる。
 このように、肝の疏泄が失調すると脾を侮り胃を犯すもので、「木旺乗土」(木が旺んで土に乗ずる)というのが、臨床上よく見られる中焦の病証である。

 肝気鬱結すると、胆汁の分泌と排泄に影響して脇下の脹満疼痛・口苦・悪心・食欲不振となり、はなはだしいときには黄疸などの症状が現われる。

 肝と胆・肝と脾胃は、病理上において相互に影響している。
 これについては呉鞠通の『温病条弁』中に一定の論述がある。
 『温病条弁』中焦篇第七十七条の「加減人参瀉心湯」方後の考察において「肝と胆とは合して一をなす。胆はすなわち肝の内に居り、肝動けばすなわち肝はつき随う」「その嘔吐噦痞し、時に上逆ありて昇るものは胃気なり。胃気をして上昇せしむる所以のものは胃気にあらざるなり。肝と胆なり。故に古人は嘔を以て肝病となし、今の人はすなわち以て胃病となすのみ」と述べているところである。

 またこれとは逆に、脾胃の病は常に肝に影響が及ぶものである。
 たとえば、脾胃湿熱の鬱滞が長期にわたって解消されないと、しばしば肝胆を薫蒸して黄疸を発する。
 脾虚のために生血の源がなくなり、あるいは脾虚のために統血力を失い出血過多となれば、いずれの場合でも肝血不足を引き起こす。
 また月経過多・子宮出血の持続などの症候では、肝に関連した脾の統血力の失調によって引き起こされることが少なくないのである。

 以上のように、肝胆と脾胃は共に中焦にあるため、病理変化も相互に影響しあい、症候がいつも一緒に入り混じって現れるのである。


4.脈診・舌診における肝胆の位置は中央部分である

 寸口の脈診は寸・関・尺の3つの部位に分かれ、三部の脈は五臓六腑の病変部分を見分けて観察することができる。
 具体的な五臓六腑の対応部位は、『内経』『難経』『脈経』および『景岳全書』『医宗金鑑』などでそれぞれ各家の意見はやや異なるものの、肝胆と脾胃が対応する脈の位置の認識は一致している。
 つまり、左手の関脈で肝胆をうかがい、右手の関脈で脾胃をうかがうというものである。

 王叔和の『脈経』分別三関境界脈候所主第三には「寸は主に上焦を射る」「関は主に中焦を射る」「尺は主に下焦を射る」とあり、また「肝部は左手の関上にこれあるなり」とある。

 『医宗金鑑』は『内経』の脈診法を遵守しており、また王叔和の平脈論を編纂した「四言脈訣」では、「右関は脾胃、左は肝膈胆」とし、同時に注釈して「関は膈中をうかがい、中焦を主るなり」と述べている。

 関部の脈は中焦を主り、右関は脾胃に対応し、左関は肝胆に対応するわけで、脾胃は中焦であるから、肝胆もまた中焦に属することがおのずと証明される。

 舌診法において部位を分けて診察する方法には、臓腑に分ける場合と三焦に分ける場合の2通りがある。
 臓腑に分ける場合は、舌尖部が心肺に属し、舌根部は腎、舌の中央部および両側は脾胃と肝胆である。
 三焦に分ける場合は、舌尖部は上焦に属し、舌の中央部は中焦、舌根部は下焦に属する。

 舌の場所の違いによって、三焦に所属する臓腑を分析すると、肝はやはり下焦ではなく中焦にあるとみなされる。
 このように、脈診ばかりでなく舌診についても、先賢はすでに肝胆と脾胃は同じ中焦に連なっていることを把握していたことがわかる。


5.肝が中焦にあることと、弁証綱領で下焦におかれるいこととは概念上の違いがある

 以上、分析解明したきたように、肝の解剖学・生理学上の位置は中焦にあるとみなされるのに、呉鞠通は『温病条弁』において、どうして肝は下焦にあるというのであろうか。

 呉鞠通が「肝は下焦に属す」としたのは、三焦弁焦を創設した綱領中に打ち出したものである。
 『温病条弁』中焦篇で示された原文を細かく分析すると、呉鞠通が肝を下焦に置いて立論した根拠は、温病後期において、熱邪が長く留まり腎水が熱にせまられて腎陰が損耗し、水が木を涵(うるお)さないために手足の蠕動・瘈しょう(手足の震えやひきつけ)などが現れる肝の虚風内動の証候によったものにほかならない。

 しかしながら、三焦弁証は一種の弁証綱領として考えなければならず、決して単なる臓腑位置の部位分け概念ではない。
 病位概念のほかに、発病状況・病勢における伝変・病証の特徴・病期の早晩・証治の規則などの内容の総合体系的な疾病綱領としての弁証概念が含まれている。
 このため、三焦弁証における下焦の肝病は、単に肝の部位に限定して考えてはならないのである。
 六経と六経弁証、衛気営血と衛気営血弁証のように、生理上の六経や衛気営血の概念と、弁証綱領としての六経弁証や衛気営血弁証の概念と混同してはならないのと同様である。

 三焦弁証が決して単純な病位概念ではない証拠に、『温病条弁』の下焦病弁証の中では、肝腎の病変を論述しているばかりでなく、胃陰虚で「食欲不振」の「益胃」湯証および「五汁」湯証、胃不和で「夜間を徹しての不眠」の半夏湯証、肺寒飲阻で「起座呼吸」の小青竜湯、太陰三瘧で「腹部脹満して水分を嘔吐」する温脾湯証なども論じている。
 だからといって肺・胃・脾も下焦に属すとするわけにはいかないのと同様である。

 以上でわかるように、呉鞠通が肝病を下焦の弁証中に帰属させたのは、決して臓器の位置から立論したものではない。
 「肝は下焦に属す」という説は特定の弁証概念なのであるから、中焦に帰属する解剖・生理学上の特徴をネジ曲げて、理論上での混同や混乱を生じさせてはならないのである。


6.中焦と中気概念の再認識

 肝が中焦に位置することを分析解明した意義は、肝の部位の問題に関係するばかりでなく、これによって一部の中医基本理論の概念を再認識することにある。

 中焦は部位で、中気は機能である。
 しかしながら長期間、肝は下焦に帰属させられていたために、いつも中焦のことになると単に脾胃を指して言っており、中気については脾胃の気のこととされている。
 脾胃は習慣的に中焦の代名詞となり、肝胆が中焦にあることや、その臨床価値について軽視されているのは片手落ちである。
 実際には、中焦は肝胆と脾胃が含まれており、中気には肝胆の気と脾胃の気が含まれているのである。
 
 臨床上、我々は胃下垂・腎下垂・肝下垂・子宮下垂・脱肛などの病を中気下陥と弁証し、よく補中益気湯で治療する。
 しかしながら、臓器下垂の病理を詳細に分析すると、脾だけの問題ではなく、肝との関係が極めて大きいのである。
 
 肝は筋を主り、脾は肉を主り、肝気虚では筋は弛緩し、脾気虚では肉が弛緩する。
 肝は気機の疏泄を主り、脾は気機の中枢である。
 肝気虚では気滞が加わり、脾気虚では気陥不昇となる。
 それゆえ、臓器下垂の症候がある場合は、いずれも「中気」の病変なのである。〔訳者注:筆者の瞿岳雲氏は本書「中医理論弁」の他項で「内臓下垂の病証は、必ずしもすべて気陥として論治するとは限らない」とした論説があるので、内臓下垂病に対して一歩進んだ研究を行うには必ず同項を参照する必要がある。また、肝気虚証についても別項で詳細な論述がある。〕

 補中益気湯は中気下陥治療の主方である。
 構成薬物を分析すると、柴胡は後世になって「昇提」作用があるといわれているが、ここでいわれる「昇提」は、決して直接脾胃を昇提するのではなく、実際には疏肝作用を通じて行われるのである。
 脾胃・肝胆は中焦に同居しており、肝気が昇れば脾気も昇る。ちょうど劉渡舟教授が指摘されたように「昇発作用というものは、決して柴胡自体が上昇させる作用を有しているのではなく、柴胡の疏肝作用を通じて気機を上行させることにより、昇発作用が生じる」ということなのである。

 このように補中益気湯は中焦の肝脾の気を補うものであり、中気の昇提というものは、中焦の肝脾の気を昇提することなのである。

 肝が中焦にあることを明確にすれば、中焦の疾患に対する新たな弁証指針となり、治療効果の向上に大いに貢献するに違いない。
 有姜氏は以前、一人の上腹部の疼痛(十二指腸潰瘍)患者を脾胃虚寒と診察して、自家製三白湯(白芍・白芷・白芨)合小建中湯を投与したところ、疼痛はやや減じたものの腹部の脹満が増悪したため、脈の弦細は肝虚不疏(肝気虚のために疏泄できないこと)によるもので、補肝助疏(補肝気と同時に疏泄を助ける)すべきと考え、黄耆・柴胡を加えたところ、3剤で上腹部の疼痛・腹部脹満がともに消失し、食欲も増加した。
 その後、同方の散剤を一ヵ月余り服用させバリウム検査を行ったところ、潰瘍は消失していた。

 このように、中焦病の治療においては、肝が中焦にあることを常に忘れてはならず、中焦・中気は脾と胃ばかりでなく、肝と胆も含まれているのである。


参考文献

1)姜建国等:『山東中医学院学報』 1985年第4号7〜12頁
2)李其忠:『上海中医薬雑誌』 1985年第10号40頁
3)福 興:『河南中医』 1986年第2号26頁



     出典: 『中医理論弁』(湖南科学技術出版社)