本書は出版当初、岩波書店関連の書店さんが、てっきり岩波讃歌の書籍であると誤解し、大量に仕入れて平積みにして販売していたところ、読者から岩波批判の本だよ、と教えられて慌てて奥に引っ込めたといういわくつきの書籍です。当のご本人の山本氏が対談で話していたのを雑誌で読んだことがありますので、事実なのでしょう。
本書『私の岩波書店』は、平成6年5月に発行され、当時の定価は1,700円(税込み)です。
茶色の帯には「岩波書店を論じて完膚なし!」と大きな白抜きです。それに呼応するように、裏表紙の帯には次のように書かれています。
私はこの長い物語を「私の岩波物語」から始めたい。岩波書店主人岩波茂雄はまじめな人、正義の人として定評がある。私はまじめな人、正義の人ほど始末におえないものはないと思っている。
私はほかに能が無いので、・・・・・・・・。
これがご存じ山本節(やまもとぶし)で、一事が万事がこの調子です。
正義と良心のかたまり。
戦後の岩波はミスりードの歴史。
国語の破壊者としての岩波。
等々。
とりわけ「国語の破壊者としての岩波」には私も全く同感で、「日本語とは似ても似つかぬ岩波用語」で、誤訳を恐れるあまり「良心的な、あるいは臆病な翻訳者は、徹底的にあるいは奴隷的に原文を尊重するようになった。どこからも文句が出ないような訳文が多くなった。従って文章はリズムと骨格を失った。」
日本語を破壊した罪は大きいと思われます。
岩波用語の支配から知識人は断じて免れていない。建築やデザイン雑誌の論文までが晦渋難解を極めるのは岩波用語の拙い模倣で、その上に片カナ語をちりばめるからである。いま三十代の若者が岩波の哲学叢書の読者であるはずはないが、その師匠である大学の教授連は岩波の申し子だから、学生はレポートを同じ用語で書かなければ点がもらえない。優等生ほどわからないことをいうのはそのせいである。それより小中学の教師の岩波用語もどきは一大事で、それは家庭にまではいってきている。
上記、山本氏の指摘は鋭く、本書『私の岩波物語』が出版されて以後、この影響があったのかなかったのか、古書業界でも岩波書店のほとんどのものが以前にも増して古書価がさらに暴落し続け、現在は古書業界においても岩波神話は完全に崩壊しているようです。
もちろん岩波書店の翻訳書がすべて悪文と言っているわけではなく、主要な翻訳書にその傾向が顕著であることを指摘されているわけです。
ところで、戦前と戦後の岩波書店の変節ぶりは有名なのですが、戦前の岩波文化を支えた「オールドリベラリスト」といわれる先生方には、ずいぶん気骨のある人々がありました。たとえば和辻哲郎、津田左右吉というお二人の戦前戦後を通じた首尾一貫ぶりは武士道的な輝きがあり、とりわけ津田左右吉の戦後の著作は岩波書店の変節とは相容れず、それでもこの巨人を排除するわけにもゆかず、ずいぶんてこずられた逸話も多いのですが、詳細を記すとさらに岩波文化を完膚なきまでに叩くことになりますので、ここでは詳しく触れないことにします。