中 医 理 論 弁 (瞿岳雲著) 湖南科学技術出版社

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 1990年11月発行の中国語の原書です。発行されて間もない頃に、1,500円で購入しています。
 大変な良書ゆえ、紙質を考慮して3冊は購入していたと思うのですが、どこを探しても一冊しか見つかりません。、わら半紙以下の文字通り薄紙ですから、当時、読了後に本書の一部をピックアップして東洋学術出版社の季刊誌『中医臨床』に四回ほど翻訳連載しましたので、繰り返しの紐解きで一冊は破損崩壊した可能性がありますが、間違いなくもう一冊あるはずなのに、一冊しか見当たらないたのです。まったく出鼻をくじかれた気分です。
 あるいはよく持ち歩いていたので、吉和村に置き忘れたのかもしれませんが?&?*?@?#?です。

 もちろん専門家のための書籍で、一般の方にはチンプンカンプンかもしれませんが、中国医学(中医学)の専門家たちが、本来充分に学習しなければならない内容が、どのようなものかの一端を知るだけでも、世間で考えられているほど、単純なものではないことが、僅かでも感じてもらえるかもしれません。
 本書の内容の御紹介を、やはり当時の『中医臨床』誌の1992年3月号(通巻48号)に村田恭介みずからが執筆しています。
 以下に転載してみます。

 
 本書は教科書中医学の欠点を指摘・訂正あるいは補足するような内容で、臨床実践に即した視点から、説得力のある中医理論を展開している。
 中医臨床を行うためには、中医基礎理論を充分に学習することが必須条件であることは言うまでもない。とはいえ、基礎理論を学習した後は、実際の臨床に通用する実践的な学習が必要となり、中医理論の有機的な活用能力を養わなければならない。つまり「常を知り変に達する」ことが要求されるわけである。この「知常達変」の能力の高低が臨床実践における優劣を決するものとなる。
 ところが一般の中医理論専門書籍による学習と実践を続けるうち、様々な疑問点に遭遇して理論上納得できない部分に悩まされたり、臨床実践において「教科書通りには行かないぞ!」と感じた経験は、多かれ少なかれ皆が味わってきたに違いない。実際のところ、通常の中医理論専門書籍においては、一般の通説を述べるのみで、別解や異説に関しては省略されていることが多い。
 本書は長年の読書・臨床実践・後学の指導を行う身にある著者、瞿岳雲氏がこうした基礎理論における疑問個所にしばしば遭遇し、徹底的な学習と考察により、著者なりの解決を行ってきた一種の報告書である。
 本書は67の問題提議と分析解明が行われているが、著者も序文で述べている通り、主に次の4種類のタイプに区別される。

 1.経書類の解釈に対するもの
 内経や傷寒論などの各種経書類の重要ポイントの意味と、過去の解釈や注釈の誤りを分析して正解を追及したもので、興味深いテーマに、
 「精気奪すればもとより虚証であるが、邪気が盛んである場合は必ずしも実証とは限らない」
 「六経病証のいずれにも表証がある」
などがあり、とりわけ
 「肝は下焦には属さず、中焦に属するものである」
との結論は絶品である。


 2.歴代医家の学説に対するもの
 古今名医の学説にはそれぞれの特徴があるものの、その際立った部分だけを述べるのは誤解を生じるだけであるとして、深く追求している。中でも、
 「丹渓の学は滋陰だけではない」
 「温邪は上に受けるといつも真っ先に肺を犯すわけではない」
などは興味深い。

 3・中医理論中で不足している部分
 中医理論中の盲点である肝気虚や腎実証などに対する解明は、いずれも一般中医学の基礎理論書では充分に記載されていない部分だけに、得るところは多い。
 「腎病には虚証が多いが実証もあり、治療には補虚と瀉実がある」
との論は参考価値があり、また
 「心腎不交の病理的本質」
の解明は絶品である。

 4.常と変に対する考察
 中医学理論の有機的な活用の実際に触れたもので、一般の通常理論を学んだ上で応用力を身につけることが、中医臨床実践における最も大切な部分であると考える著者が、中医臨床の実際を指導する部分である。
 「盗汗はすべて陰虚とは限らず、自汗もすべて陽(気)虚とは限らない」
 「内臓下垂の病証は必ずしもすべて気陥として論治するとは限らない」
 「口苦はすべて熱として論治するとは限らない」
など。

 前述したように、本書は67のテーマを論じたものだけに、以上はほんの一部のテーマを紹介したに過ぎない。いささか大袈裟な表現をとらせていただくと、本書を通読すれば弾力性に富んだ中医学の無限の可能性に深く感動するか、あるいは弾力性よりも混沌性と感じて辟易するか、読者それぞれの中医学観によって読後感はまったく異なるに違いない。



 以上が本書の紹介文です。

 これに続いて村田自身がもっとも参考になった論説から順番に翻訳連載を四回にわたって行ったわけですが、雑誌の末尾に掲載される「本号の翻訳者」という欄に、一度の例外を除いて、私の名前だけが常に除外されていることから継続する気力を失ってしまった。

 他誌にも力を入れている訳注の連載を持っていたことでもあり、わずか四回で止めてしまったのは、翻訳という自分の思考法を介入させてはならないとてもシンドイ仕事を依頼されながら、その号の全翻訳者紹介欄に自分の名前だけが毎号欠けている、ということは頑張る動機付けを失う結果となったようですね。
 このような無礼な扱いをされれば、誰でも嫌気がさすのではないでしょうかね。

 しかしながら、その67のテーマのうちのわずか4篇とはいえ、中医学的には、大変重要なテーマばかりで、
 一回目「肝は下焦には属さず、中焦に属する
 二回目「『病が表にあればすべて表証』とは限らない
 三回目「『邪の湊まるところ、その気は必ず虚す』に対する新見解
 四回目「『邪気が盛んであれば必ず実』とは限らない
の四編です。
 一回目の「肝」に対する考察は、実際の臨床実践で、これを知るか知らないかでは治療方法及び治療効果で雲泥の差がつきかねない濃厚な内容となっています。
 また、三回目と四回目を総合すると、虚実の問題が詳細に理解できる内容となっています。