新しい医療革命 西洋医学と中国医学の結合 (清水宏幸著)

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 2004年7月10日 集英社刊 定価1,785円

 著者は1931年生まれで、東北大学医学部出身の医師です。
 本書の帯にはまず太字で目立つように「この本によって日本の医療が変わる」と書かれてあり、次にいかにも遠慮がちの小さな字で「いわゆる日本漢方への批判から出発し、本来の中国伝統医学と西洋医学の融和をはかる。がんや難病の治療に驚異的成果をあげている開業医が初めて明かす」とあって、次は少し大きな字で、「革命的実践の書。」とあります。また、その下と裏には陳舜臣氏が推薦文を書かれています。
 
 一般向けの書籍としては、やや難解に感じられるかもしれません。むしろ日本漢方を実践しておられる医師・薬剤師の先生方にこそ、読んで欲しい書籍なのです。一般の方が読んで参考にされるとしたら、この本による知識によって、今後漢方診療を受けたり漢方相談をされるようなときに、相手の先生が、日本漢方が専門なのか、中国漢方(中医学)が専門なのかを判断できるようになるかも知れない、ということでしょう。

 ともあれ本書の圧巻は、読む人の立場によって様々に異なる可能性もあるのですが、私には第三章の「日本漢方はどこが間違っているか」であろうと思われます。
 その第一番目が「日本漢方批判」で、「・・・現在の『日本漢方』は中医学を簡略化したご都合主義により、本来あるべき体系的有効性も喪失させている。」から始まって、実に舌鋒鋭く日本漢方批判を展開されています。

 このあたりは、私もまったく同意見ですが、むしろ日本漢方批判に関しては、清水氏より20歳近くも若い私のほうが、先輩格だといえます。
 過去、村田恭介自身が昭和の末期、東亜医学協会創立50周年記念特集号に発表した『日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』を手始めに、ウチダ和漢薬発行の『和漢薬』誌や東洋学術出版社発行の『中医臨床』誌にまで、数々展開してきており、舌鋒の鋭さにおいては決して負けていません。日本漢方を民間療法のレベルであり、断じて医学・薬学ではないと、声高に批判し続けた時期がありました。

 その後は、日本人として中国の伝統医学ばかりを褒め称えることに、やりきれない口惜しさを感じ始め、日本漢方の良いところを少しでも掬い取ろうと努力する方向に無理をしたこともありましたが、日本漢方では「実」を体力があること「虚」は体力がないこと、その中間が「虚実中間」などと定義される意味不分明な定義には、どうしても反論せざるを得えません。

 第一、日本漢方の「実」のように体力があれば病気になるわけがない。「実」とは病邪の存在を示す概念ではないのだろうか。
 第二に、虚とは体力を問題にする概念ではなく、各種基礎物質の不足をあらわす概念ではないのだろうか。
 第三に、「虚実中間」。これがどうにも不必要な概念のように思えてならない。「虚実挟雑」というなら論理的であるが、体力を「ある」・「ない」・「その中間」と区別したところで、病邪は虚に乗じて発生するのだから、体力のあるとされる「実証」では病気になどかかるはずがなく、したがってこれらは論理性に欠く理論のように思えてならない。また、その体力の測定をどうような客観的基準で判断できるのか不明であり、このへんも曖昧模糊とした理論に思えてならない。

 実に漢方の世界でも、「日本の常識は世界の非常識」という言葉をそのまま地でいっているのです。と言いますのも、それを証明するような実例が本書に、他書からの引用として取り上げられています。孫引きになりますが次にそのまま引用させて頂きます。

 織田啓成氏はその著『漢方医学概論』(たにぐち書店一九九九)の序文で次のように書いている。
「フランスから医学校を卒業して日本へ漢方を学びにきた女医さんが、一年滞程滞在し帰国するに当たって『日本に来るより、フランスにいた方がよほど勉強になった。フランスの方が漢方(ここでは中医学のことー引用者)理論に関する本が多く、それに基づいていろいろと展開した書物があり、用いている言葉の概念が共通している。日本の場合は、理論的な説明が明確でなく、先生方によって言葉の概念が異なるので、なんだかさっぱりわからない』」

 このように、西洋社会にも急速に拡がっていく中医学であるのに、いつまでも日本国内だけでしか通用しない曖昧模糊とした基礎理論を教科書にまで仕立てたところで、今に世界から孤立してしまい、日本国内でも一部の中医学派だけが幅を利かす時代が、直ぐそこにまでやってきているのではないでしょうか。