わすれなぐさ
ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみずあさぎ、
なみ、ことごとくくちづけし
はた、ことごとくわすれゆく。
三十数年前、学生運動で荒れ狂う大学の喧騒から逃亡してたどり着いた京都。禅宗の寺、東福寺に近い書店で買った新潮文庫の「海潮音」ではじめて読んだこの詩。無常観。
夏、東福寺での坐禅。大学をこのまま中退すべきか? 禅寺で坊主になるのも逃避か? 死すべきか? 学生運動!? あのバカ騒ぎはいったい何なんだ!?
三島由紀夫が割腹自害! 武士道か?! それにしても割腹前の自衛隊員たちの三島氏に対するあのヤジは何なんだ? それで国が守れるのか?
頓悟を求めてさまよい続けたあせりの毎日。今となればなつかしき蒙昧の日々。
わかれ
二人を「時」がさきしより、
昼はことなくうちすぎぬ。
よろこびもなく悲しまず、
はたたれをかも怨むべき。
されど夕闇おちくれて、
星の光の見ゆるとき、
病の床のちごのよう、
心かすかにうめきいづ。
大学に戻ったときは前期試験の寸前。試験勉強するにもノートも資料も何もない。答案用紙には「本来無一物」と書いて試験場を出た。
秋
けふつくづくと眺むれば、
悲しみの色口にあり。
たれもつらくはあたらぬを、
なぜに心の悲しめる。
秋風わたる青木立
葉なみふるひて地にしきぬ。
きみが心のわかき夢
秋の葉となり落ちにけむ。
というふうにセンチメンタリズムの極地を味わえるのが上田敏氏の名訳「海潮音」です。表題の復刻本は、「日本の古本屋」にアクセスして検索すれば、数十万円から百万円もするといわれる本物とそっくりの本が、大変安価で入手できます。
訳注付で読解しやすい旺文社文庫は大変重宝なのですが、滅多に出品がなく、あれば300円から1,000円くらいまでで入手できます。