1997年10月号(通巻533号)の『和漢薬』誌に発表した訳注、陳潮祖著『中医病機治法学』における「疏泄失調」の訳文後の「訳者のコメント」を増補改訂し、しかも今回平成17年になって再度改訂したものです。
読者対象が主として漢方薬専門の医師・薬剤師であった関係で、時には遠慮会釈も無いかなり辛辣な指摘をしたものですが、表現はきつくとも、今読み直しても決して誇張した表現とは思われません。しかしながら、論説の視点がまだまだ一面的な部分がありましたので、再度改訂したわけです。
現代社会における肝気鬱結(肝気欝結)の原因には、単なる欲求不満が昂じて発生する場合が比較的多く、臨床上もよく遭遇する証候(病機)の一つであるが、「ストレスの多い現代社会」という紋切り型の概括は、あまりにも浅薄である。
昔の貧困と男女差別等に泣かされた封建時代における人々の肝気鬱結とは原因が明らかにことなることが多いようである。
多少とも深く追究すれば、今日のような「成熟社会」においては、個人の自我意識とともに権利意識が相当に発達していると、有益な面も多々あるにせよ、反面困った問題として、過度な被害者意識や怨恨あるいは嫉妬心といったものまで異常に発達してしまうケースも見られ、そのために日々悶々とし、鬱々として楽しまず、些細なことにも不満が昂じて肝気鬱結を呈してしまい、さらには肝鬱化火にまで発展してしまうことがママ見られる。
ところで、この「成熟社会」という表現は悪い冗談で、実は偽善と欺瞞に満ちた悪平等の社会であると指摘する識者もあるが、あながちまったく荒唐無稽な議論とも言えず、口の悪い識者に言わせれば「要するに成熟社会とは我儘社会に他ならない」ので、今後もますます肝気鬱結や肝鬱化火の証候(病機)を呈する患者さんは増え続けるに違いない。
もちろん、現代社会といえども、そのような「我儘」だけが根本原因となっているはずもなく、様々な境遇により、例えば会社内での人間関係に悩む人々は最も多く、さらには夫の暴力による抑うつ状態やヒステリー症状もよくみられるものである。それゆえ、村田漢方堂薬局でも、四逆散・逍遙散・丹梔逍遙散〈加味逍遙散)、または抑肝散類や竜胆瀉肝湯などの使用機会は実に頻繁である。
しかしながら、男性の我儘のみならず、昨今は以前にも増して目立つのが、女性のエゴイズム剥き出しの病理現象を観察する機会が多く、故松下幸之助氏が申されたといわれる
「嫉妬は万有引力のようなもので、誰もそれから離脱できない」
との名言が胸に染み入る今日この頃であるが、谷沢永一氏は、
「人間の最も強烈な情念は嫉妬です」
と御高著で断言しておられるのである。