文弱青年時代の昭和46年・・・・・・懐かしき蒙昧の日々・・・


                雨

昭和46年『神戸文芸』1971春(17)に発表 村田恭介20歳




 清(きよ)の一人息子は迎えに来いと電話をよこした。雨が降り出していた。

 清は息子の傘を取り出すと、駅へ向かった。
 
 息子はイライラしていた。三分とかからない道をひどい近眼でのろまな清では倍以上かかるのには少々閉口だった。

 ところへ、会社帰りの近所の娘が通り会わせた。深い付き合いは無いが、娘は入れてやろうと言った。息子は直ぐに了解した。

 途中、目の悪い母とすれ違った。一寸気の毒に思ったがそのままやり過ごした。

 若い男女は肩を並べ、不具な老母をじきに忘れた。

 息子が家に帰って一時間もして、ようやく清も帰ってきた。

 もう、雨は止んでいた。


            大 六 と 銭 亀

昭和46年『神戸文芸』1971年秋(18)に発表。村田恭介21歳



 大六が銭亀を初めて見たのは盆踊りの夜店だった。小さな金盥(かねのたらい)に二十匹ばかり、カタカタゴトゴトとひしめき合い、重なり合って、それがいかにも可愛らしかった。一匹百五十円である。欲しいな、と思ったが百円の小遣ではどうにもならない。で、その日は踊りを少し観て帰った。
 大六は六人兄弟の末っ子で、一人、兄姉と年が懸け離れていたから誰も相手にして呉れない。だからいつも一人である。内向的で淋しがり屋である。盆踊りにしても、連れて行ってやろうという兄姉はいなかったし、父母はといえば、駄菓子屋に忙しく、構ってくれなかった。それだから盆踊りも一人だった。そんなことにはもう慣れっ子で、淋しかったけれど、もうどうでも良かった。
 大六は次の日も一人で盆踊りに行った。銭亀のことなどもう忘れていた。大六はたった一人でもせっせと賑やかな盆を楽しく遊ぶのは踊りを観るというより、夜店を歩き回るのがとても好きだったからである。金魚すくいや風船釣り、射撃、的当て、その他普段の店には見られない珍しいおもちゃ、幼い大六にはどれもこれもが欲しい物ばかりである。ポケットには先日もらった百円と、今日もらった百円、合わせて二百円這入っている。あれも欲しいこれも欲しいと思うが、一つを買うと他は買えない。ピストルにするかゲーム器にするか、或いは望遠鏡にするか迷った。迷うことがいかにも楽しかった。ポケットの小遣は大六を王様にした。右手はほとんどポケットの中である。
 そうして夜店を歩くうちに少し先の店で五歳くらいの子がキャッキャッと喜んで、傍らに両親らしいのが二人、それも嬉しそうな様子である。何だろうと近寄れば昨日の銭亀である。その幼児は亀の尾をつかんでぐるぐると振り回している。店の主人も愛想良く笑ってペコペコと親達にお辞儀している。大六は幼いながらも義憤を感じた。と、とっさに幼児の手から銭亀を奪い取ると、二百円を主人に投げつけ、「亀頂だい!」と叫ぶなり、逃げるように走り去った。顔は興奮に上気していた。よほどの所まで来ると大六は走るのを止めて歩き始めた。胸は機関銃のように猛烈に乱打している。恐怖に手足を縮めていた銭亀も、左手の中でもぞもぞとやりだした。大六は手を開いて、小さい頭をそっとなでてやると、一瞬ピクリと首を引いた。
 大きな丸いガラスの瓶(かめ)に入れられた銭亀は最初戸惑っていたが一時間もするとようやくじっと動かなくなった。大六はそれを見届けるとやっと床に着いた。
 翌朝、大六は水の入った瓶に石ころを入れたやり、なるべく自然に近いようにしてやった。そうして魚の生身を箸の先につけて顔の前に出してやると、はじめは首をすぼめたまま様子をうかがっていたが次第に伸びだして、ゆっくりと大きく口を開け、カプリとひと齧りやった。そして頭を前後に揺すりながらコツコツと食べた。大六は有頂天で家の者皆にいちいち報告した。然し、毎日毎日魚の生身をやる訳にはいかないので家の前にある溝の糸みみずを取って来て与えると、前と同じようにコツコツと食べた。
 大六は朝に日に糸みみずを与えた。亀も大六の呉れるがままに食べた。
 そうするうちに夏休みも終わり学校が始まった。大六は銭亀と離れるのがとても辛い。朝は学校の遅刻寸前まで糸みみずを与えたり、手の平に載せてみたりした。学校が終ると慌てて帰り、寝るまで銭亀と過した。手の平だけでは飽き足らず、顔の上や腹の上を這わせたりもした。亀の這う毎にちっちゃな鼻の穴から漏れる息吹が大六の顔をくすぐり、それがとても気持良く、何時間もそうして寝そべっていることさえあった。銭亀も元気良く大六の顔を跳ね回った。


 秋も深まり、北風の吹き始める頃、突然餌を食わなくなって、ほとんど動かなくなった。顔の上に載せても、只じっとして、前のようにころがり落ちたりしなくなった。その日から、いくら糸みみずを顔の前に持っていこうと、魚の生身を出そうとも、決して顔を出そうとしなかった。大六は病気になったのだと思った。それで家の者皆に相談してみた。すると一番下の高校生の兄が、冬眠するのだから心配いらん、春になると又元気になる、と教えて呉れた。大六は少し安心した。が、それでも冬の間、毎日厭きもせず、顔の前に糸みみずを出した。銭亀は食べようとは一度もしなかった。
 冬が明けると、成程以前よりも元気に動いた。然し、矢張り餌は拒んだ。春が過ぎた。それでも餌は食わなかった。で、大六は又、一番下の兄に相談した。
「馬鹿だなぁ、大六。銭亀はプランクトンを食って生活するのさ。瓶の中に水があるやろ。あの中には、色んな小さい虫みたいなものがおるんや。」
 大六は信じようとしない。
「うそ!」
 兄は大きく溜息をつくと自分の部屋から顕微鏡を取り出して来て、瓶の中の水を一滴のせて、しばらくの間覗いていたが、これを見ろと言って大六を促した。レンズを覗いた大六は分かったような分からぬような何ともいえぬ心持だった。が、一応、納得した。それでも毎日、大六は餌を持って行くことを忘れなかった。銭亀は相変らず拒んだ。元気は無くはなかった。
 夏休みも盆に近づいた頃、或朝、大六が瓶を覗くと銭亀の両手両足が不自然に投げ出されていた。おかしいと思ってつついて見た。死んでいた。
 暫く後、家の者皆を敵に回して、大六は一番下の兄と大喧嘩をした。「お前が銭を殺した!」と泣叫び、何時間も止めなかった。皆はこんな子は家(うち)の子じゃないと口々に言った。
 夜、大六は小さな死んだ銭亀、去年助けてやった銭亀、かわいかった銭亀の屍をねんごろに紙に包んで箱に入れ、一人で暗い海に流してやった。大粒の涙がボロンボロンと頬を伝わり、大六の銭亀を積んだ箱は夜霧の冷たい中に消えて行った。
 以来、大六は全く元気を失った。夜はこっそりと誰にも気付かれぬよう夜毎泣き、泣き疲れては寝入った。
 再び盆が訪れると、大六は去年と同じように只一人で盆踊に行った。淋しかった。去年と同じように夜店には銭亀も金盥に売っていた。去年の出来事を店の主人は覚えているかも知れないと思ったが、勇気を出して店の前に立った。主人はうさんくさげに大六を見つめた。ただそれだけだった。
「銭亀頂だい」
 そう言って一匹をつかみ百五十円を払って帰りかけた。と、その時、「おい、チビ助」と呼ぶ声があった。振返ると亀屋の主人である。
「ほら、去年の釣の五十円だよ」
 そう言って大六に金を取らせると、少し頷きかけて戻って行った。大六は去年、二百円を主人に投付けたことを思出し、くすぐったいような気がした。
 銭亀は去年やったと同じように、糸みみずを与え、元気にコツコツと食った。然し、再び同じように全く餌を食わなくなった。のみならず、春になっても食う様子はなかった。大六はまたきっと死ぬと思った。一番下の兄は尋ねもしないのにとやかくと指図した。が、今度は決して耳をかさなかった。
 大六は銭亀の口を無理矢理に開け、強引に糸みみずを押込んだ。すると、銭亀はしかたなく食べた。


 或日、銭亀はどうしても口をあけなかった。大六はどうにか釘でこじあけた。そうして餌の付いた箸を突っ込んだ。と、どうしたはずみか、喉の奥深く突いてしまった。銭亀は苦しがり、ころがり回った。大六は突然気が違ったように、亀を地面にしたたか投つけた。銭亀は甲羅を割って死んでしまった。大六は死体を引っつかむと裏庭の古い井戸に投入れ逃げ去った。
 大六は家の者に亀はどうしたかと聞かれる度に、可哀想だから井戸に逃がしてやったと答えた。自身、いつしか本当に井戸に銭亀が生きていると言う気がしだした。そして時々、ぼんやりと井戸の中をのぞきこんでいることがあった。盆踊りには二度と行かなかった。