フランスのポスト・モダニストたち、とりわけミシェル・フーコーやロラン・バルトが中医学の存在と内容を知っていたなら、西洋医学は大きく変わっていたのではないかと思われます。拙論を通読していただければ、その可能性が大きかったことを十分に納得していただける筈です。
本論は、1995年7月号(通巻506号)と8月号(通巻507号)の月刊『和漢薬』誌に掲載された陳潮祖著『中医病機治法学』の村田恭介による連載訳注(42)(43)における「訳者のコメント」中に書いた拙論をもとに、平成16年12月29日に新たな考察を加え、削除・改訂増補の作業を大規模に行ったものです。構造主義医学である中医学は、まぎれもない構造主義医科学あるいは構造主義医薬科学であり、中医学理論は明らかに「科学理論」として十分に西洋医学と肩を並べうるものであります。西洋医学の利点を吸収して、中医学に西洋医学を吸収合併させるべきとの大胆な展開も行っています。
ともあれ、生来の書きなぐり癖、今後も何度か修訂せざるを得ないかもしれませんが、現時点での精一杯の論述を試みた次第です。
蛇足ながら、50歳を過ぎた時点でキッパリと筆を投げ、漢方薬局の経営と相談販売業務以外は晴漁雨読の日々を送って晩年を迎える決意でいたものを、ひょんなことからホームページを開くことになり、数年にしてもとの木阿弥のように書き続ける毎日が復活してしまいました。数年ぶりのことゆえ、どうにも頭がサビついてしまい、空疎な議論ばかりしているのではないかと、我ながら些か怪訝です。
なお、文体だけは当時これらの拙論に熱中した気分を壊したくなかったので、少し硬い論文調のままで改訂版としました。