村田恭介主要論文集 >
『和漢薬』誌に長期間連載していた村田恭介訳注の陳潮祖著『中医病機治法学』における「訳者のコメント」として、しばしばまとまった小論を発表していましたが、本論もその中の一つで、2004年12月現在、読み直しても些かも古びていません!
日本で顕著な「小柴胡剤」の乱用問題、および「病名漢方」の功罪について、現在でも十分過ぎるほど村田恭介の指摘は的確であると自負しています。
なお、もともとは『柴胡剤と病名漢方雑感』と題した論説でしたが、かなり加筆修正した部分もありますので上記のように改題し、また、読者の想定が医師・薬剤師であった雰囲気を壊さないために、「文体」はそのままで掲載することにしました。
私の漢方入門は、今から三十二年前に、薬科大学卒業直後からで、もっぱら書籍を頼りに日本流の古方派漢方を主体に十年間、薬局の店頭で実践を続けてきた。
その後は徐々に中医学に目覚め、ここ二十年以上は中医学理論を主体に、日本漢方の基本方剤を大切にする精神を合体させた「中医漢方薬学」を実践して今日に至っている。
今、振り返ってみると、私が古方派の頃は「柴胡剤」の全盛時代で、小柴胡湯・柴胡桂枝湯・柴胡桂枝乾姜湯・大柴胡湯など、当時の指導的な立場にあられた先生方の著作物や専門雑誌の論文や症例報告など、柴胡剤の優れた体質改善作用が、広く日本の漢方界に喧伝され続けていた。
日本漢方の基本精神である方証相対や随証治療の重要性が強調されながらも、一方では肝臓病に小柴胡湯、胃・十二指腸潰瘍に柴胡桂枝湯加牡蠣小茴香、胆石に大柴胡湯、気管枝拡張症に柴胡桂枝乾姜湯など、あるいは変形性膝関節症に防已黄耆湯、アレルギー性鼻炎に小青竜湯、メマイに苓桂朮甘湯、頭痛に五苓散や桂枝人参湯等々、病名漢方が広く喧伝されていたもの事実である。
御多分にもれず、私自身も入門初期の30年前頃は、柴胡剤の頻繁な販売や、病名漢方的な販売に勤しんでいた時期があったことは否定出来ない。
基礎理論を熟知した上で、「病名漢方」という通説あるいは俗説も参考にする程度であるなら、あながち病名漢方や口訣漢方も全面的に否定するには及ばない。
中医学派においても弁証論治が強調されながらも、一方では眼科疾患に杞菊地黄丸、冠状動脈性心疾患には冠心二号方、神経痛・腰痛に独活寄生湯など、病名漢方的な通説がないわけではない。
但し、一部に行われているような一般消費者相手に漢方製剤や中医学製剤(中成薬)の病名治療的な宣伝は、一般の家庭用医薬品と同列扱いに堕せしめる行為であり、些か顰蹙物であろう。
このような例外は別にして、専門家が基礎理論を熟知した上で、折に触れて病名漢方や口訣的な言い伝えを参考資料にすることについては、否定されるべき要素は少なく、むしろ有益で能率的であるとあるとさえ思われるのである。
むしろ否定されるべき俗説は、柴胡剤の体質改善効果の優越性が過剰なまでに強調され続けて来たことである。
この俗説に「肝臓病に小柴胡湯」というような、信憑性が疑われる病名漢方が複合されることで、安易に小柴胡湯を乱用する風潮を醸し出してしまったことは、とんでもない間違いであったと思われるのである。
ともあれ、私自身、日本の古方派時代と「中医漢方薬学」を実践し始めて以降を比較すれば、柴胡剤の使用が激減し、六味丸系統や四物湯系統の地黄含有方剤の使用頻度が遥かに増加し、以前は単方投与が比較的多かったのが、中医基礎理論の学習が深まれば深まるほど、合方・加減が日常化するようになり、それとともに各種疾患に対する著効および有効率は急上昇している。
同時に漢方薬販売に対する安全性への配慮も、過度なくらい慎重に考えるようになっている。
とりわけ、柴胡剤の代表格の小柴胡湯、および麻黄剤の小青竜湯を使用する機会は、不思議にほぼなくなってしまたのである。
しかしながら、大柴胡湯の使用頻度は不変で、胆石症や慢性膵炎のみならず、昨今では逆流性食道炎に使用頻度が高まっており、各種消化器系疾患には無くてはならない方剤である。
体格の比較的華奢な女性にも使用頻度はかなり高く、心下痞硬を伴う患者さんには、半夏瀉心湯証やその他のほう剤よりも、ダントツで大柴胡湯証が多いという印象である。
既述のように、私の薬局では開局以来の繁用方剤であり、日常的に使用している訳であるが、その中から特殊な合方例を簡略に紹介する。
三十代のガッチリした体格の女性。以前から油物や中華料理が大好きで、中華の専門料理店で外食する事が多い。ところが、ここ一年、中華料理店で食事中に、突然の嘔吐に見舞われることが度重なっていた。
下痢もともなうこともあった。のみならずメマイ感が常習化するようになった。
当然のことながら通院し、治療を求めて諸検査・諸治療を受けたが、全くの原因不明で、それゆえか治療効果も全くみられない。
相変わらず中華料理・油物が大好きであるが、外食が出来なくなっただけでなく、日常の食事でも油物の摂取後に生じる吐き気やメマイ感に耐えられなくなっている。
(以前から鼻炎と気管支喘息で漢方薬を服用中の)母親に連れられて来局。
上記の自覚症状に加えて、症候として心下の痞えがあり、これを圧迫すると不快で吐き気が生じ、胸脇苦満・舌苔の微黄膩などを伴っている。
西洋医学的には胃腸の問題というよりも、むしろこれらの胃腸症状の原因を膵臓関係のトラブルに求めたいところであるが、上述のように病因での諸検査では全く異常が見付かっていない訳である。
ところが、上述の一連の症候から分析すると、中医学的には肝胆湿熱(湿邪偏勝)が主体であることは明白である。それゆえ、大柴胡湯合半夏白朮天麻湯を各エキス製剤を服用してもらったところ、比較的順調な回復が得られ、一年以上続いた不快な消化器症状のみならずメマイ感も半年間で完全に消失。現在では休薬しているが、休薬後も今のところ二年以上、再発はみられていない。
(これは6年前の時点での経過報告で、その後の経緯は不明)
大柴胡湯の有用性について述べることで、病名漢方の弊害について、具体的に述べるのが最後になってしまったが、柴胡剤による弊害は小柴胡湯による間質性肺炎の問題として、マスコミにも過大に取り上げられた。
しかしながら、実に不可解な問題でもあり、果たして本当に小柴胡湯が犯人なのかという疑問も長く漢方界では疑問視されていることも事実であるが、それ以前の問題として、弁証論治や方証相対・随証投与という中医学や漢方医学の基本ルールを無視した病名治療、すなわち「肝臓病に小柴胡湯」などという実に馬鹿げた神話が横行していたことこそ、重大問題として論じられてしかるべきであろう。
このような保険漢方による由々しき乱用による弊害は、一般の患者さんたちにとってはもちろんのこと、基本ルールを厳重に遵守している漢方専門の医師・薬剤師にとっては、甚だ迷惑千万なことであった。
このほかにも、保険漢方では「気管支炎・花粉症・アレルギー性鼻炎に小青竜湯」という極めて悪質・乱暴な神話が横行しているらしく、これら病名漢方による小青竜湯の乱用で、乾燥性の咳嗽や嗄声・鼻痛などの燥熱症状に困却して相談に来られる患者さんたちが目立つ昨今である。
いずれも、小陥胸湯や辛夷清肺湯あるいは麦門冬湯や滋陰降下湯などの投与で、比較的簡単に解決できる事が多いが、近頃のように暖房設備の充実した生活環境下において、しかも下関という村田漢方堂薬局の立地する中国・九州近辺の気象条件下において、肺寒停飲の証候を呈することはかなり少ない筈なのである。
仮に本証のように思えることがあっても、ほんの一時的な肺寒現象に過ぎない場合が殆どであるから、数日間の短期投与に留めておくべきであろう。
ところが、最初から小青竜湯証と無縁の患者さんたちにまで、病名や症状だけで安易に投与されているケースが多いのは、実に困った問題で、その尻拭いを我々漢方専門の薬局がやっているわけなのである。